第十四回 只津敦庸さん(チアブ家具)

2010年7月22日取材 インタビュー/原稿/写真:椹木知佳子

只津敦庸さん

個性豊かな作家さん、アーティスト、取引先の皆さんと毎日のように関わりながら成り立っている当店。そんな人々を探れば自ずと店の輪郭までもが浮かび上がるのではないかということで、スタートしました連載「いちじょうじ 人間山脈」。

今回は日本人の生活はまずちゃぶ台があれば事足りるという、家具職人・チアブ家具さんのお話をうかがいました。近所の居酒屋・うどんの金ちゃんにて。

―チアブさんは家具も作れるけど、基本的に古道具のリペアしかされてませんよね?それはなぜなんでしょう。

もともと古道具屋になりたかったんです。20件ぐらいあたってみて、偶然に古い家具を修理して売る骨董屋さんで働けることになって、それがきっかけです。


―修行のような感じで働いて独立されたのですか?

いや1年で辞めました。

―意外に早いですね。どういう経緯で今に至ったんですか?

骨董屋のあとにギター講師を1年してました。NHKのど自慢とか、キャバレーのバックで演奏している人になりたいと思っていたのです。そういう仕事は今でもある様子ですが、狭き門でして、才能のないものが気軽につける職ではないということに気付いたというのもありますし、弾き手になるよりも家具を作るほうが向いていると思いました。

―仕事が細かいし、丁寧に仕上げる作業が好きだから向いてますよね。そのあとは?

家具の製作を教えてくれる学校に入ったんですが、卒業間際で中退してます。そこは職業訓練校だったので、就職する気が無いものは卒業させれないということ、独立しか考えてなかったし遅刻ばっかりしてましたので文句は言えません。その後は三重県の山奥に家族が持っている空家があったので、そこを工房に改装してライブハウスでバイトしながら製作していました。今は大阪で製作しています。


―なんとなく想像がつくというかなんというか。今は生まれ変わったように仕事されてますね。やっぱりやり始めの作家活動って持ち家がないと出来ないようなところはありますよね。ところでチアブ家具というのはちゃぶ台の「ちあぶ」から来ているそうですが、やっぱり日本人の生活はまずちゃぶ台さえあれば事足りるということで、チアブ家具の看板になっているものですよね。

ちゃぶ台は好きですね。まず屋号は「ちあぶ」やな、と独立前からなぜかあったんです。それに初めて骨董屋さんで働いていた頃から「ちゃぶ台、ちゃぶ台」って言ってたらしく「ちゃぶ台にしか興味が無かった」ようです。自分では覚えてないのですけどね。大体好みを分かってくれる業者さんがいるので、そこから古いものを買い付けては直しています。ボロいままより直すほうが良くなるものとか、直さないと使えないものばかりですが、十分使えるものになるんですよね。


『Classic 50 Famous Music with Guiter ギターで奏でるクラシック名曲50選』(DOREMI編)

―では最後に座右の一冊をご紹介下さい。

エリック・サティとかの楽曲集です。クラシックギター、ピアノを習っている人が最初に練習するようなやつ、今さらええなあと思ってます。サティに家具の音楽という楽曲があって、これは家具のように、自然にそこにただあるような無意識に聴く音楽。もともと日本にはあったけど、西洋には無かった概念らしいです。本当はちょっと前は『ノイズ・ウォー』(秋田昌美)、『思い出の愛唱歌‐唱歌・軍歌・流行歌』(野ばら社 編)とかいろいろあったのですが、「音楽」と「家具」っていうことで、今の気分はこれですね。

チアブ家具さんらしい座右の書でした。昔の人は何でも直し直し使っていたのだと思うのですが、自分ではなかなか出来ないもの。チアブ家具さんの手によって、より魅力的に生まれ変わったものを見るのは楽しいです。これからもボロを変身させてください!

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