第二十六回
konotami / 富井貴志さん(木工家)

2011年6月16日取材 インタビュー・原稿・写真:椹木知佳子

富井貴志さん

個性豊かな作家さん、アーティスト、取引先の皆さんと毎日のように関わりながら成り立っている当店。そんな人々を探れば自ずと店の輪郭までもが浮かび上がるのではないかということで、スタートしました連載「一乗寺人間山脈」。

今回は、京都・南山城村にある「童仙房」という標高400〜500mの高原にて、同じく木工家の川合優(かわいまさる)さんとともに工房を持つ富井貴志さん。日々制作に追われる忙しい中、美味しいお酒を土産に押しかけ取材。ゆったりと呑みながらも饒舌に語っていただきました。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(上・下)岩波現代文庫 R.Pファインマン 著/大貫昌子 訳

―突然ですが、富井さんの座右の書を紹介してください。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん』です。

―澱みなく言いましたね。そういえば富井さんの経歴は面白いですよね。もともと大学は芸術系ではなくて物理をかなり研究されていたという。

『困ります、ファインマンさん』というのもあるのですが、16歳のころ以来、ことあるごとに何度も読み返してます。僕は工業高等専門学校に通っていたのですが、どちらかというと応用系というかサイエンスよりエンジニアリングを勉強するところだったんです。それこそ"ロボコン"*1に出たこともあります。2年生の時、倫理社会の先生から夏休みの宿題としてこの本の読書感想文を出されたんです。

―良い先生ですね。それが倫理社会の課題図書なんですね。

そう。物理って"もののことわり"でしょ。世の中はどういう風に動いているか、なぜこうなるのか、興味を持たせてくれた。それから物理にとても興味を持つようになりました。地球なり宇宙なりの本質と比べるとね、自分のことなど大したことないと思えてくる。何があってもあんまり気にしないし、どうでもいいんですよはっきり言って。

―なるほど。私ももっと早く読むべきでしたね(笑)割とにこやかに飄々とされているから、分かるような気がする。木工はどういうきっかけで?

自宅の玄関、土間にある小さな勉強机。朝、晩と小さな木を削ったり彫ったりする。

僕は新潟の田舎の生まれなんでよく山には行ったし、木は身近にあったんです。高校三年の時にはノーベル物理学者が多いアメリカに留学したんですけど、そこがオレゴン州のすごい田舎で、林業が主産業の町だったから、材木をいっぱい積んだトラックが走っていくのを見て、だんだん木に興味が湧いてきたんです。日本に帰ってきてから、近くの山で木を拾っては物を作るようになりました。大学に三年次編入して、一人暮らしをするようになってからは台所道具に興味を持って、休みごとに笠間や益子*2に通ってはバイト代や奨学金をつぎ込んで。

―木工品以外にも焼き物とかガラスとか、何でも好きですよね。古いものではなくて今の職人さんのもの、作家さんのもの。

今のものは、はじめから自分の色がついていくから面白いんです。昔から洋服にお金を使うよりも、包丁や鍋、器なんかを買ってました。大学時代は、学会で講演奨励賞をとるくらい一生懸命研究に打ち込みましたが、ファインマンさんの若い頃の逸話なんか読んでいたら、自分はそこそこの学者にはなれるけど一流にはなれないだろうっていうのを自覚しちゃって。 木工は定年になってからと思っていたけど、物理はやめといて最初から木工をやろうと。

―富井さんはいかにも頭が良さそうですものね・・。子どもの時からずっと成績も良かったでしょ?

童仙房の木工所。廃校になった保育園を木工家・川合優さんと共同で工房にしている。

はい、良かったです(笑)。大学を出たあと、製作の経験もなかったので、岐阜のオークヴィレッジ*3という木工家具の会社に営業職の面接に行ったんです。社長の稲本正さんも物理をやっていた人で、曰く"自然"は英語に訳すと"nature"で、だけれど、"nature"の中に人は入っていない。でも昔の日本では”しぜん”を"じねん"って読んでいて、人は"じねん"の一部だったと。稲本さんの本に綴られていたことに凄く共感して、そこで働こうと思ったんですが、まずは木工を勉強しろと言われて、森林たくみ塾に入れられて2年間勉強し、その後オークヴィレッジに入社しました。

―数年間オークヴィレッジで働いて、独立してから苦労もあると思いますが、作家さんとしてはかなり最初から順調そうにお見受けします。展覧会も多いし、大変そうですけど、力が抜けてていいなと。お酒も楽しいし。

もしかして、あのまま物理をして何か発見できたかもしれないし、ダメだったかもしれない。でも今、木工をやっていて本当に良かった、幸せだと思います。好きなものに囲まれて、人と会えて。つまり、ファインマンさんの本は物理を志すきっかけでもあり、木工にいきたいと思わせた本でもあるんです。今でも何か壁にぶちあたったときにはそれを超えるヒントを与えてくれる一冊であり続けています。

作るもののサイズにあわせて大まかにカットした木を削り出し、彫っていく。力と根気のいる仕事。

―なるほど。良い話を伺いました。その後、独立するまでのお話も面白いのですが、今日はここまで。ありがとうございました。

作り手さんのお話を聞くことは、見ることとは別の楽しみ。ここでは富井さんの作品について云々語ることはやめて、「木と石と紙展」(2009年@京都・綾部交流プラザ)*4に寄せられた富井さんのコメントがとても良かったので引用させていただきます。

【木を削って生活道具を形にしていくことは、
一枚の紙上に書かれた複雑な数式を、
意味が通り出来る限り単純な式に変形させていくことにとても似ている。
山の中で朝起きてから夜寝るまで没頭する作業は内向きだが、想像は次々に広がっていく。
ふと顔を上げたときに見える森の木々や青い空に浮かぶ雲。
どこかで目にした恐ろしくきれいな夕日。
暗闇に広がる星空の動き。
全てを構成する素粒子。
自然を感じ、その一片の人間であることを感じる。
自然を記述する一本の美しい数式のような、そんな木の道具を作りたい。】

konotami website:http://konotami.zashiki.com/

*1 学生たちがアイデアの限りをつくした自作のロボットで競い合う、ロボットコンテスト。

*2 ともに茨城県、栃木県にある焼き物の産地。

*3 1974年創設。木製家具、文具、玩具などの製造販売、建築まで手がける。「100年かかって育った木は100年使えるものに」という合言葉で、持続可能な循環型社会を「木」という再生可能資源で実現しようと提案し続けている。「お椀から建物まで」、最近では「携帯ストラップから大型建造物まで」と幅を広げ、また「子ども一人、ドングリ一粒」をモットーに。http://www.oakv.co.jp/

*4 「木と石と紙展」2009年京都・綾部交流プラザ / 企画:ハタノワタル
http://blogs.yahoo.co.jp/aaawtaaa/32939308.html