恵文社一乗寺店ウェブサイト
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「いちじょうじ人間山脈」
題字:関美穂子
2011年7月23日取材 インタビュー/原稿/写真:七里知子
個性豊かな作家さん、アーティスト、取引先の皆さんと毎日のように関わりながら成り立っている当店。そんな人々を探れば自ずと店の輪郭までもが浮かび上がるのではないかということで、スタートしました連載「いちじょうじ 人間山脈」。今回は、当店の看板やオリジナル商品、そして「一乗寺ガイドジャーナル」のイラストも手がけていただいている、イラストレーターであり漫画家のひろせべにさんにお話を伺いました。
―べにさんは現在お店で取り扱いのある作家さんの中でも特に古いメンバーに入るのではと思いますが、そもそもどのような形でお付き合いが始まったのでしょうか?はじめは持ち込みだったのですか?
はい。いちばんはじめは1999年に展覧会をさせて頂きました。自分で応募して審査が通ったことがすごく嬉しかったのをおぼえています。その後、当時のスタッフの方からポストカードとか作ったら置きますよと言って頂いて、早速5種類作って納品しました。ポストカードを入れる透明の袋とかもどこに売ってるかわからなくて、教えてもらいながら。
―はじめはギャラリーからだったんですね。当時の展覧会はイラストですか?
イラストだけの展覧会でした。着物の工房に勤めていたのですが、そこをやめた直後だったと思います。仕事をしながら描いていた絵を発表しました。描きたい気持ちが爆発した感じでした。全くイラストの仕事はしたことがないし、展覧会も初めてで、何も知識がなく家族で搬入に来たくらいです。
―ではその後で漫画のお仕事を始められたんですね。アックス*1にも連載をされていますが、これはどういった経緯で?
漫画は、昔から時々描いていたのですがまわりの人に見てもらうくらいで、投稿したり仕事にできるとは思っていませんでした。ですが、ある時たまたま立ち読みしたアックスに次回新人賞の審査員が水木しげる先生と書いてあり、わたしは水木先生の漫画やお人柄が大好きなのでそれを見て恐れ多くもその時初めて投稿しました。結局その時は最終選考まで残り落選したのですが、水木先生は目も弱っていて10年くらい漫画は読んでませんから…と直接審査にはあたられなかったようで、ズッコケつつでもなぜかやっぱりな〜みたいな気持ちでした。
でもそれがきっかけで最終までいけたんだから、次もっとがんばろうみたいな気持ちになって、審査員は毎回変わるのですが毎年投稿を続けました。そして三回目の投稿で久住昌之先生に個人賞を頂きデビューしました。それがデビューしたことになると何年も知らなかったんですが…。今も年に1、2回描ける程度なのですが、原稿を送る時の気持ちは投稿の時と変わっていません。永遠に投稿し続けてる感じです。
保育社カラーブックス「こども食事」著者:河野友美、石見宥子 / 昭和57年発行
―面白いですね〜水木さんがお好きなのも初めて知りました。では座右の書を教えてください。
わたしは食べ物の写真を眺めているのが好きで、とくに昔のお料理本は作りが丁寧で凝っているものが多くて、何度みても飽きません。この『こどもの食事』もポケットサイズなのにすごくバラエティーに富んだ献立がたくさん載っていて、七夕のメニューとか今はあまりしなくなった行事のお料理や、西洋料理を日本人がまだちょっと勘違いして作っていたような愉快さもあり、今みても新鮮でしあわせな気持ちになります。ちなみにわたしの絵のなかにも食べ物がよく出てきます。見るのも描くのも好きです。食べるのも。
―(笑)確かにべにさんの作品にはゼリーやパンとかシュウマイがたくさん登場してますね。 ありがとうございました!
ご本人は控えめな物腰ながら、実にシュールで天才的なイラストを手がけるひろせさんの作品は、スタッフにも大人気。一度はまると癖になる不思議なイラストの今後の展開をお楽しみに!
*1 ガロの流れを汲む、オルタナティブなマンガ雑誌。べにさんは第七回アックスマンガ新人賞(2005年4月末発表/アックスVol.44)「ニックと再会」久住昌之個人賞にて漫画家デビュー。